【慶讃法要】4月22日お説教①京都 休務寺 堀本俊紹師

【今日のお説教ダイジェスト】
4月22日(月)午前
京都 休務寺 堀本俊紹師

 

讃題「智者のふるまいをせずして ただ一向に念仏すべし」

 

 法然上人が出られた時代は平安時代の終わりころから鎌倉時代にかけての時です。この時期は大変な世の中でした。仏教では「諸行無常」と言うことをいいます。世の中は、すべてのものが、刻々と移り変わり、ひとつとして同じものはないということです。この法然上人の時代は、まさに無常そのものでした。あの有名な「平家物語」ができたのがこの頃で、その物語は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という有名な文章で始まっています。

 

 また鴨長明に『方丈記』という随筆がありますが、それによりますと、この時期、世の中は、地震、台風、飢饉、疫病が相次いで襲い、たとえば、京の街の人々は食べるものがなくなり、餓死者が何万にものぼり放置されている、と書き残しています。それはそれはまさに「末法の時代」とよばれる時でした。

 

 法然上人はこの時期に登場しました。そして、その法然上人を境に日本の仏教は大きく変わりました。法然上人以前の仏教、つまりそれまでの仏教は、鎮護国家の仏教で官製の仏教です。貴族など恵まれたものだけが関心を持つ仏教でした。ところが法然上人は、先程、紹介したとおり、平安時末期の大変な世の中の状況を目の当たりにし、貴族だけではなく、苦しみ悩む人々が救われていく仏教こそが必要だ、という認識に立たれたのでした。

 

 そのためには、自分の力ではなく、阿弥陀さまのお慈悲を素直に戴く仏教、阿弥陀さまのお名前を呼ぶ仏教、つまり「称名念仏」の仏教こそが、あらゆる人々の救済につながる、と確信を持たれたのです。厳しい世の中にあって、すべての人が救われていく仏教、それが新しい浄土宗という名の仏教だったのです。

 

 私どもにとって、南無阿弥陀仏と称えることがそのまま阿弥陀仏に救われている、ということを法然上人が示され、その教えが今も続いているのです。