【慶讃法要】4月22日お説教②愛知 長善寺 丹羽一堂師

【今日のお説教ダイジェスト】
4月22日(月)午後
愛知 長善寺 丹羽一堂師

 

讃題 「生まれてはまず思い出ん、ふるさとに ちぎりし友の 深きまことを」

 

この歌は、法然上人のお歌で、私たちにとって「友」というものがいかに尊いか、を教えてくれています。法然上人が比叡山に登ったのは15歳。3人の師について厳しい修行、勉学に勤しみますが、18歳でその修行を止めて、比叡山の西の端にある黒谷の別所に移り、そこで本当に悩める人たちが救われる、ということはどういうことか、新たな独自の勉学修行に励みます。それからというもの、法然上人ご自身、長い年月がかかりましたが、遂に、善導大師の「すべて、み仏の本願の念仏によって、救われる」というご文に出逢って回心(えしん)をしたのです。そして学問・修行所である比叡山を下りて、苦しんでいる人々の中に自らの身を置かれたのであります。時に法然上人御年43歳。今から850年前のことです。

 

比叡の山を下りた法然上人が最初にお行きになったところは京の街を超えて、長岡京の粟生の里でありました。そこで念仏を日課にしている遊蓮房円照というお坊さんと一緒になります。円照さんは法然さんより少し年下ですが後に法然上人をして、「私の生涯で、善導大師の教えと遊蓮坊に出会ったことは、この世に生を受けた一番の思い出だ」と言わせたお坊さんです。

 

ここで、最初に紹介いたしました歌にも出てくる「友」と言うことについて考えを広げていきたいと思います。まさに法然上人にとっては、その遊蓮房円照と出会っておたがい、念仏による救済について実践と思いを深められたのだと思います。まさに法然上人と、円照さんとともに「南無阿弥陀仏」を常に口で称えることを始め、また苦しむ人々ともども、みんなが「念仏の友」となって念仏の生活を進めていかれたのです。

 

このようにして「南無阿弥陀仏」と唱える人たちががどんどんと増え、わずかな時間に何千何万という人が念仏を唱えるようになりました。私ども、生きとし生けるものが、辛く苦しい日暮らしの中、お互い「念仏の友」どうしとなって念仏を称えていく、それが人々中に広がっていったのです。

 

ただただ念仏をとなえることで、救われている自分に出遭い、喜び、それを生きる力にしていこうというこの法然上人の念仏の教え。ここに「浄土宗」という宗派が世界に初めて生まれたのでした。