【今日のお説教ダイジェスト】
4月26日(金)午前
北海道 沼貝寺 高橋泰隆師
讃題「かみよりこのかた、定散両門の益を説くと雖も、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向に専ら阿弥陀仏の名を称せしむるにあり」
私たちは普段、当たり前にように声を使い会話しています。声を使って仕事をしている人もいます。でも声を病気で失う人や、生まれつき声を出すことができない人もいて、そのかた達はお念仏をお称えすることはできないのでしょうか。お念仏には声なき「無声念仏」というお念仏があります。それを実践されたのが私の曾祖父、高橋泰岳上人です。上人自身、喉頭がんにより声を失いました。それでもその年の十夜会に出仕された時のことです。導師の発声する所は三つ。総回向、回向、十念です。声の出ない曾祖父に代わって横についていた祖父が総回向、回向と発声しました。そして十念という時、曾祖父が左手をあげてさっと制止しました。「この十念は私が称えます」という強い意志を表わしたのです。口から出たのは「ハッ ハッ ハッ ハッ」というかすれた息でした。静まりかえった堂内に響いた息の声は、まさに「ナムアミダブツ」そのものでした。声なき念仏と言えるでしょう。
声が出ない人の口元に阿弥陀さんが来られ、念仏を称えさせようと突き動かしたのです。声にはなりませんが、無声の念仏という姿で阿弥陀さんが念仏を口ま運んでくれた。この無声念仏には阿弥陀さんの仏力の姿があり、他力の姿そのものであり、阿弥陀さんの救いが備わっています。
この阿弥陀さんの救いと教えを広められ浄土宗という宗派を開かれたのが法然上人です。上人がなぜ浄土宗を開かれたのかというと、この世において苦しんでいる人々を救う方法とは何か、すべての人々を平等に差別なく救う教えとは何なのかと答えを追い求められたからです。そして高祖善導大師の『観無量寿経疏』にある「かみよりこのかた・・・」の文にたどり着かれました。読まれた上人は体に強い電流が流れたかの如く強い衝撃を受けられ、これこそが私が追い求めていた答えであり、この教えと救いが間違いないと強い自信と確信を持たれ、阿弥陀さんとお念仏の教えを世に広められたのです。