法然上人を乗せた船は京の都を離れ、瀬戸内海を西へ進み配流先の四国へ向かいます。その道すがら、法然上人は船の停泊地で当地の村人とお念仏のご縁を結んでいます。播磨の高砂(兵庫県高砂市)では「魚をとることを生業としている私どもは殺生の罪で地獄に堕ちてしまうのでしょうか」と救いを求める漁師の老夫婦に出会いました。また同じ播磨の室の泊(兵庫県たつの市御津町室津)では「身体を売って生きておりますこんな私でも救われるのでしょうか」と教えを請う遊女に出会いました。法然上人は、「生業を変えることができないのであれば、その身のままお念仏をお称えなさい。阿弥陀仏は罪深い人間でも決して見捨てることはありません。」と誰もが救われるお念仏の教えを広められました。