15 流罪勅免

法然上人は、配流もお念仏の教えを地方へ広める好機と捉え、配流の道すがらまた配流先で教化を続けられました。その一方で、依然として貴族の中でも法然上人を慕う人々は多く、洛中でも流罪の赦免を願う声が少なからずありました。そんな中配流から1年もたたない内に流罪赦免の宣旨が下ります。しかし直ちに京の都に入ることは許されず、法然上人は摂津の勝尾寺(大阪府箕面市)に留まりました。京の都へ戻ってもよいと許しが出たのはさらに4年後のことです。この時法然上人79歳。