法然上人のとなえた「称名念仏」の教えはあまりにも新しく様々な既存の勢力から弾圧が起こり、四国への配流となってしまいます(詳しくは「法然上人のこと 13 https://honen850.jp/jodo/honen-13/ 、14 https://honen850.jp/jodo/honen-14/」をお読みください)。それを法然上人はチャンスと捉え、停泊地の港や漁村で悩める様々な人々にお念仏の教えを説いていきます。これはその流罪中の有名なエピソードの一つ「室津の遊女」のくだりを安田登氏が戯曲化したものです。
兵庫県の室津の沖にさしかかった時のこと、法然上人の船に近づいてくる小舟がありました。見ると美しい女性が乗っています。彼女は室津を拠点に春を売る遊女だと名乗り、法然上人に苦しみから抜け出すための教えを乞います。
『法然上人と室津の遊女』
法然:九重の。都を出て遥々と。八重の汐路を。行く身かな。
法然:これは法然と申す法師にて候。さても我讃岐の国へ流され候間。ただいま下向仕り候。いかに船頭殿。船を出し候へ。
船頭:畏まって候。えーい、えーい。
法然:月のみふねに棹さして。弘誓の船に乗らうよ。
船頭:えーい、えーい。
そこに遊女が現れる。
遊女:月もさやけき秋の夜の。西に渡せる汐路かな。瑠璃の瓦を青く葺く。極楽浄土に参らんや
法然:ふしぎやな月澄み渡る水の面に。遊女のあまた謡ふ謡。色めきあへる人影は。もしや室の遊女やらん。
遊女:のうのう。その船に申すべきことの候。
法然:いかに船頭。船寄せ候へ。
船頭:あれは遊女にて候が。船寄すること仔細御座なく候か。
法然:仔細なく候。急いで船寄せ候へ。
船頭:畏まって候。えーい、えーい。
遊女:いかに上人聞き給へ。我らたまたま受けがたき。人身を受けたりとは申せども。罪業深き身と生れ。殊にためし少なき河竹の。流れの女となりて候へば。前の世の報ひまでも。思ひやるこそ悲しけれ。この身を助け給へかし。
法然:げにもさやうの業にて世をわたること。罪障まことにかろからず。すみやかにその業をば捨て給ふべし。
遊女:もっとも仰せはさることなれども。我ら幼き頃よりも。この業にて世を過ごす者なれば。余のはかりごとを知らず候。この業捨つること叶ふまじ。
法然:実に実にそれも断りなり。さらば御身のそのままにて。ただただ専らに念仏申すべし。
遊女:ただ専らに念仏すれば。罪業深きこの身なれども。往生まことに叶ふべきや。
法然:弥陀如来はかかる罪人のためにこそ。弘誓をも立て給ひてこそ候へ。ただただふかく本願を頼み。
遊女:専修念仏仕れば
法然:往生疑ひ
遊女:あるべからずと
法然:ねんごろに上人教へ給ふれば。上人教へ給ふれば。
遊女:遊女は随喜の涙をながし。
地謡:心の奥の奥山の。
岩垣紅葉散りぬべし。
紅葉は散りてもその心。
照る日の光遍くて。
みな人を。渡さんと思ふ心こそ。
極楽にゆくしるべなり。
生きて身を。
蓮の上に宿さんも。
念仏の功徳と心得て。
ともに念仏申しけりともに念仏申しけり。
称名念仏:南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏
地謡:不思議や今までありつる遊女。不思議や今までありつる遊女。
遊女:菩薩聖衆と変じ給ひ。
地謡:或いは紅葉の葉袖を返し。
或いは弘誓の船に乗りて。
生死の海を渡り渡りて。
舞を舞ふてぞ遊びける。
《舞》舞の中でもお念仏。
法然:あらありがたの舞の姿。御身はいかにと問ひ給へば
観音:大慈大悲の観音薩埵
法然:さてまた御身は
勢至:勢至菩薩
法然:阿弥陀如来はいかにと問へば
観音:あのお山にと。西を指して示し給へば。
地謡:上人も歓喜の涙を流し。
諸悪罪障悉皆尽滅。
皆ひと往生疑ひなしと。
念仏の声を頼りにて
西の海。
讃岐の国へと漕ぎ出でけり
讃岐の国へぞ向ひける