【慶讃法要】4月24日お説教①山口 長寿寺 中村州芳師

【今日のお説教ダイジェスト】
4月24日(水)午前
山口 長寿寺 中村州芳師

 

讃題「月影の いたらぬ里は無けれども ながむる人の 心にぞすむ」

 

 今お称えしました御歌、月影というのは月の光のことです。暗闇を月の光が優しく照らしている。余すことなく照らしているのだけれども、上を見て、そのお月様に気が付かなければ私達にはそのことは解らない。同じように阿弥陀様の私達を必ず救うぞという願いは既に完成されていて、私達に今も向けられている。その大きな慈悲の光を、「南無阿弥陀仏」とお称えして、「ああ、阿弥陀様の願いに、救いの光に、この私は今も照らされているのだ」と気付く、ということです。

 

 この世は苦しみの世界。一時の幸せはあれど結局は苦しみとなってしまう。しかし、その中に有難くも、今はこうしてなんとか生かされている。今ここにしかない命。同じものはない。皆さんお一人お一人の個性・人格・自己というものは今ここにしかない、世界の人口80億人いる中のたった一つです。皆、自分にしかない幸せや喜びを持った、自分にしかない悲しみや苦しみを背負った、たった一つしかないこの命が今、ここに生かされている。それだけで、もうすごいことです。もう十分素晴らしいことです。

 

 なのにこうして生かされていながら、どうでしょうか、まぁつまらないことに執着し、小さなことで一喜一憂している私たち。こんなおろかで、欠点だらけの私を。だからこそ、この凡夫を必ず苦しみから救ってやるぞ、これを必ずお浄土に往生させるぞ、という願いを立てられ、はるか昔にその願いを悉く成就なさったのが阿弥陀様です。

 

 月影のお歌の下の句「ながむる人の心にぞすむ」とは、阿弥陀様の大慈悲に気付かせてもらったならば、今私たちが生きる悦びを感じるということです。

 

 苦しみ不安を抱えながらも、それに負けない真の安らぎを覚えること、これがお念仏の生活です。自分がこの世を去っていくまでの、残された、今ここに生かされている、この瞬間、一瞬一瞬、苦しみも楽しみも味わい尽くして、喜びも悲しみも味わい尽くして、それぞれの身の丈に合ったより善い生き方をしたい、頂いた多くのご恩に報いる生き方ができたらと思います。