12 松虫・鈴虫事件

 法然上人の弟子の安楽房遵西(あんらくぼうじゅんさい)が主導する『六時礼讃(ろくじらいさん)』の法要は巷で人気を博していました。『六時礼讃』は善導大師の『往生礼讃(おうじょうらいさん)』に基づき、一日六度の決まった時に、阿弥陀仏を讃え、礼拝・念仏を修する法要儀式です。節を付けて唱えられる礼讃の美しい旋律は、次第に人々の心をとらえていきます。声よし、顔よしの安楽房は女性人気も高かったといわれます。
 このようなおねんぶつブームの広がりに心穏やかではいられない旧仏教勢力による圧力が強まる中、念仏門への弾圧を決定的にする事件が起こってしまいます。後鳥羽上皇が熊野への参詣で留守にしていた折、上皇に仕え寵愛を受けていた女官の松虫・鈴虫が、京都東山の鹿ケ谷で行われていた安楽房と住蓮房(じゅうれんぼう)主催の『六時礼讃』の法要に参加し、そのまま出家してしまったのです。この一件は上皇の逆鱗に触れ、安楽房と住蓮房は処刑。その他の弟子、そして法然上人も罪を問われることになります。