【慶讃法要】4月23日お説教①兵庫 蓮華院 吉屋章源師

【今日のお説教ダイジェスト】
4月23日(火)午前
兵庫 蓮華院 吉屋章源師

 

讃題:「諸行の中に念仏を持ちうるは かの仏の本願なるが故に」

 

 今年は法然上人が浄土宗を開かれてから850年になります。お釈迦様が説かれた教えは膨大です。その中で、私はここを信じます、この教えを大切にしますと、それぞれ重要視するところが違うことから宗派が出来ます。法然上人は阿弥陀仏の本願を選ばれて、浄土宗を建てられました。

 

 俗世を離れ、比叡山内部での権力や地位の争いも厭い、比叡山の奥に位置している黒谷に籠られた法然上人は、「修行は何のためになるのか」、「はたして人々のためになるのか」、そのような思いを持ちながら、京都や奈良の寺を巡ったり、膨大な経典を読み続けられました。その中、法然上人43歳の時に、善導大師の観経疏の一文にて称名念仏の教えにたどりつかれました。お念仏こそが救われる道だと。

 

 数ある教えの中から、なぜお念仏を選ばれたのか。それは当時の世相も深く関係しています。この時代は、源平の争いがあり、また飢饉・疫病が続いた時代でした。常に死と隣り合わせでした。法然上人と同時期に生きた鴨長明の「方丈記」には、この世の無常を伝える記述が書かれています。1177年の大火では、京都の3分の1が燃えたといいます。暴風が吹いて街が破壊されたり、干ばつのため大飢饉が発生したり、1185年には大地震が起こるなど、過酷な状況となっていました。この時代にあっては、難解な教えや厳しい修行ではない道を求めました。そこで法然上人は称名念仏を説かれました。これは誰にでも出来ることです。声に出すと心が通い合います。名前を呼び合ってコンタクトを取るように、呼べば聞いてくれるし、つながることが出来ます。

 

 ある小学校の女の子が、お母さんの作文を書きました。この女の子は幼いときにお母さんが亡くなっていました。1行書いても涙が出ました。でも、お母さんに会えたと感じました。母が子を思う気持ちは変わりません。慈しみの心は変わらないように、阿弥陀様の慈悲は、私たちを照らしています。