法然上人は小さい頃から学問好きで、仏教にも関心の深い子どもでした。
そんな姿を見たお父さんは、お母さんの弟、観覚(かんがく)が住職の菩提寺(ぼだいじ)で仏教を学ばせます。
その才能に驚いた叔父は、比叡山での修行を勧めました。
十五の歳、ついに故郷を出て比叡山に向かいます。
その時見送りに来たお母さんと涙で別れた場所が、今も岡山県久米郡に伝わります。
比叡山に着いた勢至丸は、叡空(えいくう)を師として出家・授戒します。
師より「空」の一字を受け継ぎ、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)と名付けられました。