【慶讃法要】4月21日お説教①京都 常林院 伊藤玄愼師

【今日のお説教ダイジェスト】
4月21日(日)午前

京都 常林院 伊藤玄愼師

 

讃題「智者のふるまいをせずして ただ一向に念仏すべし」

 

この法語を読むと、今でも思い出すことがあります。今から二十年程前のことです。「葬式はいらない」という遺言を残して亡くなった母をどのようにして送ればいいのか、悩んだ娘さんから相談を受けましたが、火葬場でのお別れに読経することしかできませんでした。たった5分ほどの時間しかなく、その間念仏をお称えしました。娘さんたちも母の往生を願いただひたすらにお念仏されておられました。その姿が「ただ一向に念仏すべし」と重なって見えました。後で「お念仏で母を送ることができて良かったです」と話してくださいました。

 

中陰のお詣りの間に娘さんから「読経を聞いていると懐かしいです」と言われました。「子どもの頃、先々代住職に月参りをしていただいていたとき、読経後にお茶を出すのが私たち娘の役割だったのです。その頃のことを思い出します」と。娘さんたちは、子どもの頃、お母さんのお念仏生活を見て育ち、一緒にお念仏を称えておられた。その後もお念仏を大切に生活してこられたんですね。

 

なぜ、お母さんは「葬式はいらない」と遺されたのか、はっきりした理由は娘さんたちにも分からないそうです。「もしかすると、阪神淡路大震災で被災した時に、母の中で何かが変わったのかもしれません」と話されました。

 

お母さんが断ち切ろうとされた仏縁を、娘さんたちがお念仏で再び結び直したように感じました。ただ一向に念仏すること、お念仏生活の大切さ、お念仏のありがたさを改めて娘さんたちから教えられた気がしたのです。850年の間、法然上人の教えを各時代の僧侶と檀信徒が大切に受け継いできました。そして、受け継いだものを私たちも次の世代へ渡していかなくてはならない。日々、共にお念仏生活を送っていきましょう。