3 「門」が開かれたその時

法然上人は四十三歳の時、中国の善導大師が書かれた『 観経疏』の一節をご覧になり、

「ああこれだ!阿弥陀仏の慈悲をいただける教えに出会った」と感動されます。

それは、阿弥陀仏の本願にたよれば、私自身が功徳を積まなくても、修行をしなくてもよいのだ、

ただただ救われているからこそ、お念仏を申すのであると発見されます。

迷いふらつく私たちのために門が開かれたのです。

この念仏を称えるだけでよいことを「専修念仏」といいます。

往生への道がわからなかった人々には、閉ざされていた門が一気に開きました。

まるで砂地に水をまいたように、一気に染みわたっていくことになりました。

私たちの修行や功徳は不要という専修念仏は革新的な教えであり、

それまでの仏教をくつがえすので、「立教開宗」として位置づけます。

令和六年が、立教開宗八五〇年になります。

これまで専修念仏の教えを守り引き継いできた人々への感謝と、

これからも、この道を受け継いでいく思いを持ちながら、記念の年を迎えましょう。