生きづらさを感じるている私や皆様に

年々生きづらさが増しているというか、日々の暮らしが窮屈になっているように感じます。この度のコロナ禍で急速に顕著になってきているのではないでしょうか。人が苦しい時に最後によりどころとするのは自らの正義感です。「これをやっておけば大丈夫」という根拠のない安心感はいつか他の人にも押しつけてしまいます。共鳴してくれる人もいれば、反感を持つ人もいます。まったく興味のない人もいるでしょう。そして自ら作り出した正義に攻撃してくる他の正義もあります。

近年のSNSの発達はたしかに利便性を生んでいますが、今まで見ずに済んできた他者の正義をも突きつけます。それを受け入れられるかどうかの柔軟性がありますか。

「許せない」が自分をがんじがらめに縛りつけています。自分の我と他者の我がぶつかり合って暴走している世界で、私たちは身をすくめるしかありません。「我」に固執しているとこうなってしまうのは当然です。

法然上人がお説きになられた思想の一つに「他力」ということがあります。今では「他力本願」というと「人任せ」で「自立性がない」という意味に誤解されていますが、「他力」というのは決して「他律」ということではありません。自我の争いをおさえる上でこの「他力」こそが鍵となります。今の時代だからこそ求められる教えではないでしょうか。立教開宗850年を迎えるにあたり、「他力の思想」を見つめたいと思います。