法然上人の臨終にあたり、ある弟子の一人が「古来の高僧にはどなたにも遺跡があります。しかしお師匠様はお寺一つもお建てになりませんでした。亡くなられた後、どこを遺跡とするのがよいでしょうか」と問いました。
すると法然上人は「遺跡を一カ所に定めてしまえば私の教えは広まらないでしょう。私は生涯をかけて様々な場所でお念仏の教えを説いてきました。お念仏の声のしているところは、身分の上下を問わず、どんな家であっても、そのすべてが私の遺跡のようなものです」とおっしゃいました。
先往く人が後に残る者に何を遺すか。何かと形ある物を求めてしまう私達ですが、それ以上に大切なものがあるのだということを教えられたような気がいたします。「南無阿弥陀仏と声のするところは、皆私の遺跡」かっこいいですね。