令和4年5月22日永観堂で行われた金澤翔子さんの揮毫の模様のダイジェスト版です。
合掌して祈りを奉げられた翔子さん、たっぷり墨を含ませ、小さな手で太い筆を握りしめて、おもむろに、白い紙にむかい一心に文字を書き始められた。何のためらいもなく、無心に揮毫される姿を、私たち皆は、固唾を吞んで見守った。そんなに一気に書いて大丈夫かな?と。もちろんそれは、杞憂に終わったのだが。
お母様の金澤泰子様によると、翔子さんは、勉強はできないが、純粋に育ったと。まず、競争心がない。いつもニコニコ、周りの人を幸せにする。また、今だけに生きているので、集中力があるから、魂のこもった力強い文字が書ける。さらに、欲がない。皆に喜んでもらえいたいとの気持ちしかない。雑念がない。
思うに、これは私たちが理想とする菩薩や仏様の慈悲や無我の境地ではないか。泰子様は「70年近く私も文字を書いてきたけど、翔子のように魂のこもった力強い文字は書けないし、かなわない。だから、翔子の書を見た人々が涙をながすのだろう」と。
もし見返りの阿弥陀様が、この「大慈悲」という書をご覧になられたら「翔子、よくぞ書いた」とおっしゃられるに違いない。