総本山禅林寺では、この立教開宗850年に向けて既に各事業が動き始めています。その最後を飾る慶讃法要では全国各地より僧侶が参集し、荘厳な袈裟、衣をまとい、悠久の旋律を奏でる読経と共に、法然上人のご遺徳を偲びます。
そんな厳かな法要の中で忘れてはならない影の立役者が“鳴物(なりもの)”と呼ばれる仏具(楽器)たちです。
お寺で勤める法要では、読経や声明の音階や旋律はもちろんのこと、鳴物を鳴らすタイミングは何よりも重要です。これがひとたび狂えば大惨事です。音階や旋律は乱れ、読経する僧侶も聴聞いただく参詣者もあまり気分がよくありません。
私が入門した頃は、鳴物のタイミングが悪いと先徳(年輩の僧侶)からよく叱られました。当時はなぜこんなことでと膨れていましたが、今となればタイミング一つでその法要が天と地の差ほどの出来になることが分かります。
たかが鳴物、されど鳴物。前置きが長くなりましたが、奥深い仏具の世界を紐解きたいと思います。
今日紹介するのは、浄土宗にとって欠かすことのできない鳴物、“伏鉦(ふせがね)”です。正式な名称は“鉦鈷(しょうご)”で、お念仏を称える時に撞木(しゅもく)を使って拍子をとるために鳴らす金属製の仏具(楽器)です。法然上人在世の頃は、両側の留め具に紐を通し、手で持って叩いていたようですが、時代を経るにつれて大型化し、とても持ち歩くことは不可能です。
さて、この伏鉦の由来は古く奈良時代にさかのぼります。当時、中国大陸から伝来した仏教と共に、当時の最新の音曲であった雅楽も日本に伝わりました。その中に雅楽器唯一の金属楽器である”鉦鼓(しょうこ)”がありました。これが伏鉦の源流です。
伏鉦は表面を撞木で叩きますが、鉦鼓は裏側を2本のバチで擦るように叩きます。時代を経ても形状はほとんど変わりありませんが、使い方は随分と変わったようです。ただ、タイミングを外すととんでもないことになるのは伏鉦も鉦鼓も一緒です(笑)。
私事ながら近々、雅楽をご指導いただいている先生主催の演奏会に“鉦鼓”の奏者として出演します。念仏僧の私にとっては縁の深い楽器ではありますが、くれぐれもタイミングを外さぬよう気をつけます。