法然上人のもとにはその教えを受けようと、全国から優秀なお坊さんが集まってきました。そんな中、ある日ひとりの貴族の少年が法然上人のお弟子になりたいと門を叩きました。少年は14歳。内大臣・久我通親(ないだいじん・こがみちちか)公の息子でした。その聡明さと真摯な姿を見て、法然上人はその日のうちに自ら剃髪得度(ていはつとくど/髪の毛をそりお坊さんになる儀式)を行いました。彼こそ法然上人の正統の教えを引き継ぐ者にして私たち西山禅林寺派の祖・西山上人です。源空の「空」の字を頂かれ「善恵房證空(ぜんねぼうしょうくう)」と名付けられました。この時法然上人58歳。