法然上人が比叡山で修行を始めたその年、お父さんは明石源内武者定明(あかしげんないむしゃさだあきら)という武士に殺されてしまいます。明石定明は、お父さんが押領使(おうりょうし)として関与していた荘園を管理する豪族でした。土地の新興勢力の父・時国(ときくに)が昔からの支配者である明石定明の言うことを聞かなかった為、恨まれて夜中に襲撃されたと伝わります。修行中の法然上人がお父さんの死を聞いたときどんな気持ちになったかは伝わっていません。ただその後の修行や生き方に大きな影響があったことは想像に難くありません。